「わかる」ってどんなこと?
わかるとは、本当に頭で理解することでしょうか?
先生が弾くお手本を見たり聞いたりして、「そっか、弾いてみよう!」と練習を重ね、なんとか弾きこなせるようになる。
一般的に「わかる」や「できる」というのは、頭で理解して再現することなんだなと思いますが、私自身、子どもの頃のレッスンで、そのレベルをはるかに超えた、わかるなんてものではない(?)、不思議な体験をしたことがあるんです。
今回はそのお話をしてみたいと思います。
自分は他人で、他人は自分
ある日のレッスンで、(確か学校へ上がる前の年齢だったと思う)先生がお手本を見せながら私に色々音楽のこと、ピアノの弾き方などを話してくれました。それは子ども向けの言葉ではなく、とても音楽的で深い内容だったと記憶しています。
その時、不思議なことが起きました。
先生の話す声は聞こえているのに、私の頭の中では言葉を理解する力が完全にストップ。
代わりに起こったのは、「自分が先生と同じ考えになっている」という感覚でした。
「きっと先生はこう弾いていて、心の中ではこんなことを思っているんじゃないか?」 言葉で書くととても嘘くさくなるのですが、先生が考えていることがまるで自分に合体したような感覚でした。
当時は音符なんて全く読めない頃で、技術もありません。
それなのに「相手が自分で、自分が相手になる」という、変な体験。
もちろん先生は気づいていなかったと思うので、私の一方的だったと思いますが。
ならば、訂正しなければなりませんね。
「自分が相手になった」という体験です。
目の見えない人が言った、「見える!見える!」

伊藤亜紗 著『目の見えない人は世界をどう見ているのか』という本の中に、こんなエピソードが書かれています。
「全盲の方は、相手の話し声で、その人がお化粧をしているのかがわかる」。
人間は文字や記号に頼れないとき、感覚をフル稼働させて、見えないものをイメージするんですね。
そしてもう一つ紹介すると、目が見えない人が、何かのきっかけで状況や全体の形を捉えたとき、「あ、見える!、見える!」と声を上げるエピソードもあって。
目を使わずに見るという経験は、子どもの頃、音が読めないのに、音がわかるという体験ととても重なりました。
楽譜が読めないのに、音がわかる!
先ほどの本では、おもしろいエピソードがたくさん出てくるのですが、体のさまざまな感覚を通して、その場の状況やイメージが、頭の中にくっきりと浮かび上がったことで、「見えた!」という実感になったんだと思います。
わかる、出来る、見えるなど。感覚は言語からの情報で、ひも解く必要はないのかも知れませんね。
言葉での分析を通さなくても、音の響きや先生の表情、気配で、音楽を覚えてきたんだなと振り返りました。
言葉や記号に頼れない時、直感や雰囲気を頼りに導き出す。(音楽の場合、耳の力がとても大切ですね)
これが私にとっての「わかる」という体験の原点なのかも知れません。
不思議体験のからくりと、雑念なし、全集中力
どうしても、あの時の不思議体験が忘れられず、「先生と私の魂が合体したんだ」なんて本気で思っていたこともあります。
もちろん、オカルトではなかったのですが。
からくりとしては「成り切った」ということなのだと、自分なりに答えを出しました。
ただし、成り切るには条件があって、一切の雑念や欲望をなくすこと。
「あ、頭に何かが浮かんできたから考えるのをやめよう」なんて思うのも、もちろんダメです。
その時は 「うまく弾けたら、レッスンの後、おやつを食べられるかな」 「親や先生が褒めてくれるかな」 「先生が喜んでくれるかな」 なんてことは、その時、いっさい思い浮かびませんでした。
ただ純粋に大好きなことを、ひたすら先生が見ている前で、同じように真似してみる。 雑念なしの全集中力で。
合気道や武術に似ている精神
本屋さんで、たまたま開いたのが合気道の本で、その時、音楽は武術の考えにも似ているのかなと思ったことを思い出しました。
相手の力を上手く使って、自分の力と調和する。音楽と武術は、精神の持ち方がとても似ていると感じます。
楽器は体を使うので、頭より体で覚えた方が「あ、わかった!」という実感になります。
迷わず勝手に体が動く。
あれこれと考えなくても、理想通りに体が動く状態こそが「わかった」ということになるのかなと、大人になるにつれて、そう考えるようになりました。
私にとって「わかる」ということは?
二つの魂が一つになる、なんて夢物語でもなんでもなかったのですが、雑念など一切なしで、ただ相手のことを信頼し集中してやってみる。
すると不思議と、成りきってしまうのです。
相手の思考をコピーして、私の頭に貼り付けることはできません。きっとこうだろう、という自分なりの想像力と、今まで覚えた情報が、一瞬で最大限に働いて、お手本と同じになり、成りきってしまう。
私にとって「わかる」という概念は、頭で言葉や記号を分析することではありません。
相手が言ってくれたことや、その人がかもし出す雰囲気、音など、自分の体で感覚的に受け取ること。
これが私の中での、最初の理解。
そこから、今まで学んできたことがうっすらと繋がりはじめ、 何度も練習を重ねるうちに、意識しなくても自然とできるようになっていく。
たとえ今、出来てはいなくても、後からとてつもなく大きな力となってやってくることもあります。
それが自分の体験からと、人を観察してわかったことです。
爆発的な成長もある
「種を蒔き、栄養をとって、少しずつ大きくなって・・」というのは、小さな子たちには当てはまらないことがあります。
実際にピアノを教えていると、生徒さんがそれまではイマイチだったのに、急激に成長していく子がいます。
成長は直線的ではなく、身体感覚で捉えて、まるで人が入れ替わったように、急成長を遂げる子もいます。
しかしここで気をつけなければいけないこと。
できる、ということを自身が感じる前に、周りがプレッシャーを与えたり、期待しすぎたり、出来るということが最大の価値、として捉えすぎると、
思った以上に、子供は精神的なダメージを受けてしまう。
将来グレる思います。
あと、周囲と比較して競争させるのも良くないかな。
自分自身、ピアノを弾くことが大好きで、いろんな挑戦をし、自分と闘い、ライバルが見つかったらいよいよ競争。
しかし競争が刺激になる子はそれでいいと思うけど、今の子はいい結果を自分だけ出したり、秀でるのが苦手。
みんな一緒がいいという価値観のような気がします。
出る杭は必ず打たれるし。
とにかく楽器演奏は、こちら側がよっぽどうまく教えていかないと、才能をつぶしてしまうこともあるから。
特に、子供の可能性はこちらが考えるよりも遥に大きいので、最大限の力を引き出してあげたいなと思ってます。
しかし自分の体験や考えは間違っているかもしれない、と考えることも確かで。
それまでの自分の価値観を壊して、あらたに考え直すのはとてもむずかしいことです。

時々立ち止まったり、柔軟な考えを持っていたいなと思います。結局は、いつでも勉強ですね。

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