Erika Asai / Composer, Pianist , Improviser

自然がテーマ。ほのぼの&胸キュンな音楽制作。
おしゃれコード・即興演奏・面白アレンジ
ヤマハグレードetc

本とメモと、時々ピアノ

10月なかばを過ぎても、日中は20度くらいの気温で、とても過ごしやすいです。しかし北海道の場合、夜はコートを着たくなるほどひんやりとするので、そろそろ冬の訪れかも。

今年は寒くなるのかな。雪は多いのかな。ちょっと憂鬱な季節。

さて、ひと月ぶりの投稿になってしまいましたが、今回は気ままな雑記になりますが、どうぞお付き合いください。

 

最近読んでいる本

古本屋さんで見つけた「不思議の国の宮沢賢治 天才の見た世界」 福島章著。

今でこそ、誰もが知っている作家。

だけど、本は出版されず、知名度も低く、宮沢賢治が亡くなってから、作品は世の中に送り出されたのはとても有名な話です。

私が子供の頃に触れた宮沢賢治の作品といえば、「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」「雨ニモマケズ」

注文の多い料理店を読んだのは小学生の時で、ただの面白い話、としか思っていなかったし、雨ニモマケズに関しては、何を言い表しているのかまったくわからなかった。

銀河鉄道の夜は、星空のさし絵を見ているだけだったし、物語の深い世界観までは、当時の理解力ではたどり着くことができませんでした。

しかし、大人になってから読み返してみると、「こんな思想だとは思いもしなかったな」と、振り返ったり。

 

 

大人になり、何回か宮沢賢治の作品を読み、ようやく人間の傲慢さや死生観、彼なりのユーモアがなんとなくわかったような気がします。

それにしてもへんな表現が時々あって気になってた言葉。

「太陽を桃色」と言ったり、「月から匂いがする」みたいな表現。

なぜ?

でもその謎が、この本からわかりそうなんです。

 

今は、自然や命に対する真摯な思いや、宮沢賢治がみた不思議な景色、誰もいるはずもないのに聞こえる声、予知能力など、ちょっとありえない独特な感性で、作品を書いたのでは?というふうに思えてきたのです。

著者の方は、宮沢賢治の研究や「天才の精神分析」を行っている精神科のお医者さん。
先生によると、賢治には一種の異常な身体感覚や妄想、そして「共感覚」があったと言っています。
共感覚とは、音に色を感じたり、形に匂いを感じたりする、五感が混ざり合う感覚のこと。
これは小さな子どもや原始的な人類に多い、「未熟な感覚」なのだそうです。
そういえば、子どもって壁のシミを見て「お化けがいる!」と言ったり、誰もいない方をじーっとみたり、今日おじいちゃん(とっくに亡くなったはず)がきたよって言ったりとか、そんな話をよく聞きます。
そして、いつしか共感覚が進化し、整理されたのが、現代人の五感。
聴覚もそうです。

歌を歌い、踊り、木に穴を開けて笛を作り、太鼓を叩き、音楽という芸術になりました。

(少し逸れますが、耳が聞こえない音楽家やダンサーは、振動を感じて表現します。)
宮沢賢治をはじめとする天才たちは、一般の人には見えない幻聴や幻覚、共感覚を異常とも言えるほどに感じていました。

通常ではあり得ない話なんだけど、彼らは悪気もなく、ただ自分が見たもの、そこにあったものをそのまま話しているだけ。
これって実は、音楽界でもこういう人によく出会います。
(あ、私がへんだからそういう人が集まったのかも・・)


彼らが元々そういう感覚を持っていたのか?
それとも音楽を深く愛し、想像したり勉強し過ぎたせいなのかは分かりませんが。
しかし福島先生は、彼らに病名をつけることに意味はないし、健常人には見えないその世界を圧倒的な芸術として表現した天才たちこそ、正当に評価されるべき、と言っています。
これには私も全く同じことを思っています。
宮沢賢治など、天才と呼ばれる人たちは、その独特な感性で本当に見て、聴いて、感じていた世界そのものだったのですね。

メモ

スマホやパソコンにメモをするのはどうも苦手で、ノートに書いておく完全アナログ派。

しかもキチキチと整理整頓するのも苦手で、とりあえず書いておいて、必要のない事柄は線を引っ張って消すという原始的メモです。

 

作った曲の仮タイトル、本タイトル、日付、ストーリー、何調なのか、はじめの2小節のテーマ、コード進行、ブログの内容、読んだ本、印象に残った文、使ったお金の金額、レシート、購入したいもの、など内容に関係なく、順番に書いていく乱雑なやり方。

だけど、私にはこのやり方が一番合っていて。ほぼなぐり書きなのですが。

 

突然何かを思いついて、後から使えそうなワードも書き込みます。

メロディを思いついた時は、スマホに録音。スマホに録音した、ということもノートにメモしておきます。

 

明日になったら、今日やったことや考えていたことを全部忘れてしまうんです。

前日、やったことや、これからやろうと思ったことは、次の朝にはすっかり忘れているので、記憶を呼び戻すためのメモです。

ちなみに、「この前言ったよね?」系のことは、もちろん覚えていません。ふざけんなよ、と思うでしょうが、すみません、、としか言いようがないです。

本当にごめんなさい。

時々ピアノ

時々ピアノを弾くというのは、ちょっと少なくみつもりすぎたかな。実際は毎日、弾いたり考えたりしています。

しかし、曲が完成したら編集という作業がつきもので・・これが結構大変。

この作業に時間を取られて、思うように弾けていないので、それで時々ピアノ。

 

 

私のテーマや問いでもある、表現。

またふと浮かんできました。

最近、世の中の音楽家の演奏を見ていて、ずっと不自然だなと思っていたこと。

それは、演奏中の過剰な体の揺れ。あれを感情と言えば、そうなのかもしれないけど。

 

多少はそうなるとして、小さな子どもがやっていることもありますね。

力んだ顔の表情、イキリ、見せつけ、自慢げ?

自慢や見せつけではないとしたら、癖なのかな。
あなたの演奏は無表情でつまらない、などと先生に言われて、体を揺するようにして練習した、という人もいるでしょう。
本来音は、体の使い方、体の軸、指の力のコントロールによって、どこまでも繊細に表現できると思います。ほんの少しのメロディの揺らし方、絶妙な和音の力加減、テンポの細やかな動きもそう。

ところが体をゆらゆら動かし、遠く斜め上に視線を上げる。
伝えるべきものは音そのものなので、大げさな表情や体の動きは関係あるのかな。
大体、私はそんなことを恥ずかしくてできません、、
恥ずかしいというのは、大げさに表現することを恥じているのではなく、そう思っていないのに、演技することが馬鹿馬鹿しくなるんですね。
私は昔からそんなふうに思っているので、割と、体はまっすぐです。まあ、舞台上ではウケないですね。なので「演奏がつまらないの?やる気がないの?」という周囲の反応になっちゃう。
体ゆらゆらが評価の対象なら、本当にがっかりです。実は私もかなり無表情な演奏だ、と言われてきて落ち込んできたし、反抗もしました。
私はちゃんと内面では色々思いながら弾いてるし、音色だって研究している。音の色も思い浮かべて弾いたりもしている。
それなのに周囲は簡単に判断するし、勝手なものです。
それに顔や体の作りが小ぶりな日本人は、他の国の人と比べて表情が乏しいのを気にしてなのか、なんとか大げさに表現しようとするんですね。
自分の姿をビデオに撮ってみるとわかりやすいです。その姿を見てなかなかいけるな、自分。と思っているなら、それは音楽とは関係がないですよね。自惚れかな。
もちろん、それ自体、一般大衆化して稼ぐためのビジネスの手法(ブランド化)ということもあるので。過激な肌の露出や、流行りのコスチュームで、人気をとることもあります。
それは容姿、ファッション、流行性のある歌詞と音楽は、大衆音楽で一つの戦略です。
ピアノ音楽と大衆音楽の世界観はかなり違うので、みなさん、何が大事なのかをしっかり見極めて練習してくださいね。

久しぶりの小旅行

18日は、北海道の伊達市に、風間杜夫と白石加代子の「古事記」、朗読劇を観にいきます。

古事記というと、教科書的なつまらないイメージがありがちだけど、ドロドロした人間模様(神模様?)なんかもあって、壮大なお話が多くて好きなんです。

県や地域によってはチケットがソールドアウト。

ベテラン俳優は、このお堅い物語をどうやってお芝居をするのだろう。とても楽しみです。

 

 

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